遺贈寄付の知識

遺言書がなければ寄附はできない? 志を活かすために知っておきたい柔軟な方法

意思を遺す方法には様々なものがありますが、遺言書はその代表格といっていいでしょう。
では、遺言書がなければ寄附はできないのでしょうか。
答えは「ノー」です。

大切なのは、故人が人生を通して積み重ねてきた思いを尊重し、寄附をしたいという志を確実に実現させること。
そのためには、遺言書にこだわらない方がいい場合もあります。

本記事では、遺言書がなくても寄附を果たした方々の事例をご紹介しながら、遺言以外の方法による寄附について、ご一緒に考えていきたいと思います。

思いを託された相続人による寄附

最初にご紹介する事例は、急な病で残された時間が短かった方のエピソードです。

Aさんは50歳を目前にして大病を患い、ご家族とともに闘病生活を送っていました。
ご家族の手厚い看護は受けていらっしゃいましたが、珍しい病気ということもあり、患者として同じ気持ちを共有できる人、相談できる人がほとんどいなかったため、そういう面では孤独な闘いでした。

Aさんを見送られた後のある日、ご主人はAさんを懐かしみ、遺された闘病日記を手に取りました。
すると、そこには、思いを分かち合う患者仲間がいないことの辛さ、そして患者会を立ち上げたいという篤い思いが切々と綴られていました。

奥様の思いを知ったご主人は、
「この志をなんとかして実現してやりたい。妻と同じような思いをする人を少しでも減らしたい」
と考え、いくつかの患者会や医療機関に相談を持ちかけました。

しかし、残念ながら、良い返事はもらえませんでした。
相談に乗ってくださった多くの方々は、どなたも患者会の必要性を感じてはいましたが、実際に運営するとなると様々な問題があり、ハードルは高いということでした。

それでもご主人は諦めませんでした。
Aさんの願いを叶えるべく、寄附によって患者会を作ってくれる団体を粘り強く探した結果、ついに最終的な寄附先としてある財団にたどり着きました。

その財団は、寄附者に寄り添い、寄附先をじっくり選ぶサポートをしています。
Aさんのご主人もそうしたサポートを受け、Aさんの意思に沿った寄附先をついに探し当てました。Aさんと同じ病の患者を支援する3つものプロジェクトをみつけたのです。
振り返ると2年以上の月日が過ぎていました。

こうして、Aさんが望んでいた「相談できる・分かち合える環境」がご主人の手によって実現しました。

このケースでは、もしAさんによる遺言書での寄附だけを考えていたら、遺言書を作成する時点で、本当にAさんの意思にかなう寄附先をみつけるのは難しかったでしょう。
その頃、Aさんに残されていた時間はわずかでしたから、残念ながらじっくり選ぶことはできなかったという現実があります。

実際に、寄附を考えながらも、遺言書を準備しているうちに亡くなってしまった方もいらっしゃいます。

また、中には、遺されるご家族のお気持ちを考え、遺言書に寄附のことを入れるのをためらわれる方もいらっしゃいます。
Aさんがもしそういう方だったら、遺言書を用意することで、寄附自体が行なわれなかったかもしれません。

そう考えてくると、遺言書にこだわることが、かえって寄附をしたいという故人の意思を遠ざけてしまうこともあるという事実を、理解する必要がありそうです。

Aさんと同様のケースには、息子さんがお父様のご遺志を尊重され、お父様の遺産である京町家を寄附された例もあります。

この方の場合、息子さんは東京在住でご自身の事業も順調なため、京都に帰るおつもりはありませんでした。そこで、お父様の生前のお気持ちに寄り添われ、今までお世話になった方々に恩返しをしたいというご自身の思いもこめて、それまでお父様のお住まいだった町家を寄附なさったのです。

お子さんのいないご夫婦が、生前、姪御さんにご意思を伝えておき、ご夫婦の逝去後、姪御さんがご夫婦それぞれの志に沿った寄附を実現なさったケースもあります。

このように、遺言書を作成しなくても、遺された方々によって故人の思いを実現することも十分、可能なのです。

社会へのアクセスが難しい方の場合

こんな事例がありました。
Bさんは、海外在住の高齢者。ご自分の財産を使って故郷である日本のどこかに寄附をしたいと考えていらっしゃいましたが、海外では日本の情報を集めるのには限界があります。
そこで、Bさんは生前、日本で暮らす姪御さんにその思いを託されました。

Bさんが旅立たれた後、Bさんの財産を相続した姪御さんは、生前のBさんのご意思に従って寄附先を探し寄附を果たされました。

Bさんに限らず、社会へのアクセスが難しい方、例えば長期入院をしていらっしゃる方やご病状が思わしくない方も、ご自身で意思にそった寄附先を探すのは難しいのではないでしょうか。
しかし、それで寄附を諦めてしまうのは、なんとも残念なことです。

寄附は、人生を通して培ってきた価値観の具現化であり、人生最後の自己実現ともいえます。
もし、その意思をどなたかに託せば、その方を通じて寄附を実現することは可能なのです。

別の事例もみてみましょう。
次は、ご家族ではなく、教え子さんに意思を託されたケースです。

Cさんは元研究者。90歳を超え、いわゆる終活を考えていらっしゃいました。その一環として、ご自分と同じ分野の若手研究者を応援したいというお気持ちを、寄附の形で果たそうとされました。
ところが、ご高齢ということもあり、ご自分で寄附先を探すのは難しい。

そこでCさんは、教え子さんにご自身の意思を伝えました。すると、その教え子さんはCさんのお気持ちを汲み取り、希望どおりの寄附先を探し出してくれました。こうしてCさんは寄附を実現させたのです。

Cさんはまだご存命ですが、その後、認知症を患われ、現在はご自身の意思を表すのも難しい状況にあるということです。
そのことを考えると、大変いいタイミングでご自分の思いを実現されたといえるでしょう。

おわりに

これまでみてきたのは、いずれも、寄附をしたいという方がご自身でそれを実行するのが難しい場合、周囲にいる方がその方の志を尊重し、その方に代わって寄附先を探し、その方の財産や遺産を原資として寄附を果たされた事例です。

こうした方法は遺言書のように法的な拘束力をもつものではなく、結局は相続人次第です。
しかし、今までみてきたように、遺言書にこだわることにもデメリットがないわけではありませんし、遺言書がかえって寄附をしたいという意思を遠ざけてしまうことさえあるのです。

そう考えると、寄附をしたいという願いを確実に実現するためには、遺言書にこだわりすぎずに、柔軟にその方法を探ってみることが有益ではないでしょうか。

寄附は人生の集大成です。最後の希望であり、自己表現です。

もしクライアントから相談を受けた場合には、以上のようなことにも配慮し、さまざまな可能性を視野に入れてサポートしていただけたらと思います。

上へ戻る 上へ戻る